Walking Meditation ― ただ、歩く。
瞑想と聞くと、どんなイメージがありますか?
静かな場所で、じっと座って、長い時間目を閉じる。
なんだか難しそう。じっとしていられないし、何を考えればいいのかわからない。
そんなふうに感じる方もいるのではないでしょうか。
私もそのひとりです。
以前、座禅について教わったとき、「半眼(はんがん)」という言葉を知りました。
座禅では、目を完全に閉じるのではなく、薄く開けて自然に視線を落とします。
目を閉じることで自分の内側に意識が向きすぎたり、さまざまな考えが浮かんできたりするため、目を薄く開けておくのだと教わりました。
それでも、私にとって、じっと座って瞑想することは今でも難しく感じます。
でも、Walking Meditation(歩く瞑想)なら、できるのです。
Walking Meditationとは?
Walking Meditationとは、歩くという動作に意識を向ける瞑想のひとつです。
足の裏が地面に触れる感覚。
身体の重心が移動する感覚。
吸う息、吐く息。
歩きながら、今この瞬間に感じていることに意識を向けます。
私が特に好きなのは、自然の中で行うWalking Meditationです。
ゆっくりと歩きながら、足の裏から自然を感じる。
すると、不思議と余計なことを考えなくなり、ただその瞬間を心地よく感じられるのです。
伊勢神宮を歩いて感じたこと
伊勢神宮を訪れると、いつも心が静かになっていくのを感じます。
杜の澄んだ空気。
一歩一歩、砂利を踏みしめる音。
風に揺れる木の葉の音。
川の水に触れたときの冷たさ。
自然の中を歩いていると、五感が研ぎ澄まされ、余計なことを考えなくなっていきます。
そして、自然と感謝の気持ちが生まれます。
この美しい自然の中に身を置けること。
その美しさや心地よさを感じられること。
自然という大きな存在の中で、自分も生きていること。
そこには、感謝とともに、畏敬の念があります。
自然の美しさだけでなく、その力強さや、人間には到底コントロールできない大きさを感じる。
そして、自分もその自然の一部として生きているのだと気づく。
昔の人々は、自然の中に神聖なものを感じ、祈りの場所をつくり、大切に守り続けてきました。
自然を敬い、自然とともに生きてきた日本人の感性は、本当に素晴らしいものだと思います。
伊勢神宮を歩いているとき、こんなことを感じていて、Walking Meditationに通じていると考えさせられます。
自然の中で、五感を使って歩く
この感覚は、特別な場所に行かなければ得られないものではないと思っています。
海でも、山でも、川でも。
森や公園、自宅の庭でも。
自分が好きだと思える自然に触れてみてほしいのです。
波の音を聞く。
花の香りを感じる。
木々の緑や、空の色を眺める。
風が肌に触れる感覚を味わう。
そして、できれば裸足になって、土や芝生の感触を足の裏で感じてみてください。
もちろん、けがをしないよう、安全な場所を選んでくださいね。裸足が難しければ、靴を履いたままでも十分です。
特別なことをする必要はありません。
ただ、五感を使って、自然と自分自身に意識を向けながら歩くだけです。
何も考えないように頑張る必要もありません。
考え事をしている自分に気づいたら、また足の裏の感覚や、周囲の自然に意識を戻してみる。
それだけでいいのです。
いつもの散歩を、自分のための時間に
瞑想には興味があるけれど、難しそう。
じっと座っているのが苦手。
そんな方にこそ、Walking Meditationをおすすめしたいと思います。
要するに、散歩をしてほしいのです。
ただ、いつもの散歩に少しだけ意識を加えてみる。
目的地に向かうためでも、歩数を稼ぐためでもなく、歩くことそのものを楽しむ。
自然を感じ、自分の身体を感じ、今この瞬間を味わう。
忙しい日常の中で、そんな時間があってもいいのではないでしょうか。
私たちは日々、たくさんの情報に囲まれ、過去のことを思い出したり、未来のことを考えたりしながら生活しています。
だからこそ、ときには立ち止まるような気持ちで、ゆっくり歩いてみる。
自然の中に身を置くことで、普段は気づかなかった音や香り、身体の感覚に気づくかもしれません。
そして、当たり前だと思っていた日常の中にも、感謝できることがたくさんあると感じられるかもしれません。
自然に意識を向けることは、自分自身に意識を向けることにもつながります。
瞑想を難しく考えずに、まずは一歩。
自分の好きな自然の中を、ゆっくり歩いてみてください。
