看護師として訪問入浴の仕事をしたことがあります。

訪問入浴とは、自力で入浴が難しいけれど、自宅や施設でお風呂に入りたいと方に向けた介護サービスです。お風呂を部屋の中にセッティングしては入浴介助をするサービスです。

その仕事をしていた時に印象的だったのが、自宅で暮らす100歳を超えた女性でした。

介護は必要だけれど、見守りで立ち上がったり、座ったり自分でできて、少ない手助けで更衣ができ、お風呂で自分でごしごし洗うおばあさんに出会いました。体力の低下や家族だけでは大変なのでサービスは必要なのですが、自分でやろうとする意識が強い105歳の女性です。昔、旅行によくいったみたいで、聞くと旅先の話まで思い出して話してくれるそんなおばあさんでした。

どうして、こんなになんでもできるのかと聞いたとき、「若いころからなんでも自分でやってきたから」「できることはなんでも自分でやるよ」といつも言っていました。

なんでも自分でやってきたというお年寄りの目の力が違うのを感じます。老化により自分でできることが減ってきているなか、できることは自分でやるという意思の強さを眼差しから感じます。

「なんでも自分でやってきた」100歳超えた人の言葉の重みが違います。

私は30歳、便利な世の中でしか生きていません。ボタンを押せばなんでも簡単にできる便利な世の中で育ちました。100年前の日本は、なんでも時間をかけて自分たちで生活を作らないといけない時代。そんな時代を生きた人たちと現代の若い世代では人生経験が違います。「なんでも」は本当に「なんでも」やってきたんだろうなと。

私はお年寄りに会うと、どんな人生だったんだろうと若いころ様子をイメージします。その人にとって良い時代の昔話をしてくれているときの表情は明るく、目が輝きます。何度も何度も繰り返す話す話を聞きながら、目を見ると見えてくる気がするんです。

顔に皺が増えて、声が変わっても、目の光は不変だと思っています。その目を覗いて、昔の表情を想像するのが楽しいのです。私の知らない時代、この人の目は何を見てきたんだろう。少年・少女の頃の表情が見えてきます。ほんとです。

話が飛んだ気がしますが、

自分の力で何でもやる。

この気概ってとても大事なのかもしれないなと思います。

でも、その気概って急に身に付くものではなくて、若い頃からの積み重ねでしか出せないのかなと思います。生きていく中で、いろいろ経験することで人生に厚みが出てくるように。

100歳まで生きなくても、人生の最後の時、「なんでも自分でやってきた」と言い切れる人生にしたいなと、心から思います。

100歳を超えたおばあさんがこう言えるのは、そう思えるほどやってきたという実感があるから。自分はここまで来たという実感があるから。

WAKO STUDIOが大切にしている、

「自分の力で、鍛えて、緩めて、整える。」

という言葉。

この「自分の力で」には、身体を自分で動かすことだけではなく、自分自身の意思で生きていくという思いも込めています。

誰かにすべてを委ねるのではなく、自分の身体の状態に気づき、自分で考え、自分で選び、コントロールする。身体も、人生も。

時々、コントロールするのが難しいこともあります。流れに身を任せるしかない時もあるかもしれません。

そんなときでも、舵取りの練習をしておけば、それが支えになるはずです。

そんな練習の一助となる時間を届けていきたいという思いでやっています。

よかったら、一緒に練習してみませんか。